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わたしたちのリアル

日本の人口の、およそ42人にひとり、約296万人が外国人。4割以上は、日本に永住できる在留資格をもっています。日本で生まれた人も少なくありません。

「外国人」であると同時に、地域の住民。そんな人たちの声に、耳を傾けてみませんか。

Aさんの写真

ラナ アルタフ アラムさんパキスタン国籍 在留資格「永住者」 49歳兵庫県在住

パキスタンから日本へ

私は、1975年に、カラコルム山脈の麓、パキスタン北部・ギルギットで生まれました。今年で49歳になります。日本には、18歳の時、1994年に移住しました。

ギルギットが観光地だったので、登山やラフティングを目的として、たくさんの観光客が訪れてきていました。その時に出会った日本人の方に招待されて、日本に留学したのです。日本で知り合った女性と、1994年に結婚して「日本人の配偶者等」の在留資格になり、その後、2000年に「永住者」の在留資格を申請して、許可されました。

ずっと大阪府内で、職人の仕事をしながら暮らしていましたが、2015年に兵庫県に転居、貿易会社を設立して働いています。

米同時多発テロ後に受けた嫌がらせ

2001年、アメリカ同時多発テロ事件がおこって、当時、日本語を話すことができるイスラム教徒が少なかったのでしょうか、大阪府警の警察官が何度も家にやってきて質問したり、それが嫌だというと、家の前で張り込みをしたりされたのです。子どもも傷つきました。

警察による嫌がらせがあまりにも執拗で、とうとう私はうつ病を発症してしまい、倒れてしまいました。そういう経験をしていますから、司法通訳、在留資格の問題など、困難な状況にある外国人住民の支援活動にも取り組んできました。

他国に移住した親族は投票できるのに

生まれ故郷・ギルギットから、多くの親族、友人・知人が、ヨーロッパ各国やアメリカに移住しています。

小学校から高校まで同じ学校に通った従兄弟は、アメリカに移住していますが、彼はアメリカ人と結婚したわけでもありませんが、元の国籍を維持したままアメリカ国籍を取得し、選挙でも投票しています。イギリスで公務員の仕事をしている親族もいます。

同じ時期に、同じ場所から移民し、日本国籍の方と結婚したにも関わらず、私だけが、住んでいる自治体の選挙で、1票を投じることすらできません。どうして、このような違い、差別が生じてしまうのでしょうか。納得できません。

外国人だからこそ気づけることがある

30年、日本で暮らしてきました。自分自身のためであるのと同時に、社会のため、日本という国のためでもあると思い、仕事を頑張って、会社を大きくしてきました。

私が住んでいる地域は、高齢者が多く、解決してほしい課題がたくさんあります。日本人が気づかないようなことでも、外国人だから気づくことができることもたくさんあります。投票することで届けたい思いがたくさんあるのです。

日本の政治家の皆さんも、私たちが選挙で投票できたとしたら、困った状況にある外国人住民の問題を、より身近に感じることができるのではないでしょうか。

選挙で、永住する外国人住民も投票することを通じて、日本人とも歩み寄り、もっと身近で、良い関係が築けるのではないでしょうか。そのことは、日本にとって、何もデメリットはない、むしろ、メリットの方が多いのではないかと思います。

キム・ スニさんの写真

金順姫(キム スニ)さん(仮名)韓国籍 在留資格「特別永住者」 35歳大阪府在住

韓国名/本名で育って

大阪市内で生まれ育った、在日コリアン3世です。生まれたときから韓国語読みの民族名を名乗り、日本名/通称名を使ったことはありません。兄弟が2人いますが、どちらも同じです。2世の両親は時代背景もあってか、2人とも日本名/通称名で育っていたのですが、大人になってから韓国名/本名に名前を変えています。だから、自分たちの子どもには、韓国名/本名を名付けたかった、という話を聞いたことがあります。

ありのままで生きたい

韓国名/本名を名乗っていると、名前をからかわれる・差別されるということは、やはりありました。「金(キム)」という姓をもじって、「キムチ」と呼ばれるのはよくありましたし、小学生の時、けんかになれば、「韓国帰れ」と言われて泣いたこともいっぱいありました。

大人になってからは、面前でハッキリと差別的なことをいわれるということはありませんが、アルバイトに応募したところ、履歴書の韓国名をみたとたんに雰囲気が変わって断られたことが何度もあります。けれど、私は韓国人で、キム・スニです。だから、そのまま、ありのままで生きています。

「都構想」住民投票で感じた疎外感

小さい頃から、自分が在日コリアンだという認識がハッキリしていましたから、参政権がないということも分かっていました。成人して、日本人の友人たちが選挙の話をする時、入っていけない、という感じはありましたが、仕方ないと思っていました。

けれど、いわゆる「大阪都構想」住民投票がおこなわれた時に、参政権について強く意識するようになったんです。毎日のようにテレビで報道され、友人や職場の知人が、投票について話をすることが多くなりました。私だって働いて、決して少なくない額の納税をしているのに、大阪市が、私が住んでいる区が消えてしまうかもしれない。様々な社会制度自体も変わってしまうかもしれない。そんな大事な住民投票に、どうして参加できないのか、1票も投じることができないのかと感じ、すごく疎外感を覚えたんです。

さまざまな国籍の住民と接するなかで

私は、務めている会社で総務的な立場で、給与計算もしています。会社には、ベトナム人、中国人、韓国人、様々な国籍の人たちが勤めています。

彼/彼女たちだって、住民税を、決して高いとはいえない給与から引かれています。給与明細をみた彼/彼女たちから、住民税について、「これは何ですか、どうして引かれているんですか?」と聞かれることがありますが、権利としての参政権がないのに、義務としての納税について、なんとも説明しにくいというか、納得させることが難しい、と感じることもあります。

外国人住民だからこそ、投票したい

今年の春、統一地方選挙がありますが、もしも私が投票できるとしたら、やはり外国人住民である、私たちの人権問題について理解してくれて、解決するために動いてくれるような政党、候補者に1票を入れたいと思います。日本では、外国人住民がますます増えていきますが、やはりその人権が十分に保障されていないと感じています。

外国人住民に関わる問題だけでなく、私には参政権がないことで、逆に、政治について、社会について、より深く考えながら、生きてきたと思っています。その感覚を、日本社会に活かすためにも、参政権があればよいのに、と願っています。

宋貞智さんの写真

宋貞智(ソン チョンヂ)さん韓国籍 在留資格「特別永住者」 64歳大阪府在住

日本名/通称名から韓国名/本名へ

私は、福岡県の飯塚・筑豊で、1959年1月に生まれました。韓国籍の在日コリアン2世です。22歳の頃に、仕事で大阪に移住。結婚して子どももできました。今では孫もいて、大阪市内で暮らしています。

20歳になるまで、松本幸子という日本名/通称名を使って生きてきました。学校も、小中高、ずっと日本の学校です。20歳の時、韓国語を覚えたくて韓国に留学に行きました。それまで、宋貞智(ソンチョンヂ)という韓国名/本名があること自体知らなかったのですが、韓国のパスポートを取得するときに、初めて知りました。留学中の韓国では、ずっと宋貞智を名乗り、呼ばれてきたのですが、日本に帰ってきたとき、松本幸子と呼ばれてることに違和感を覚えるようになっていました。ありのままの自分、民族の名前で生きていこうと思い、(当時の)外国人登録で通称名抹消手続をおこない、後戻りできないようにしたのです。それ以降、40年以上、ずっと宋貞智の名前で生活をしています。

宋貞智の名前を使うことは、決してよい事ばかりではなく、差別を受けることもあります。それでも韓国名/本名を使い続けるのは、自分たちのような存在のことを分かってほしい、忘れないでほしい、そういう願いがあるからです。

外国人住民の扱いの軽さ

私は、高齢者の介護をおこなう事業所を経営していますが、介護保険の制度は常に変化して、仕組みが変わっています。当然、高齢外国人に関わる制度変更がおこなわれることもあります。けれども、行政には在日外国人住民の声を聞く姿勢が希薄であると思うことが多々あります。その度に届けるようにはしているのですが、参政権がないことは、日本で永住する外国人住民の存在が、軽く扱われていることの象徴であるように感じています。

「都構想」住民投票に感じた怒り

昔から、いわゆるママ友たちとの会話のなかで、選挙の度に、「宋さんはどこの小学校で投票するの?」などと聞かれることが普通にありました。その度に「私たちは選挙権がないんです」と説明しなければいけないのが悔しいと思っていました。

特に、いわゆる「大阪都構想」に関する住民投票の時には、自分たちの街をどうしていくのか。今、住んでいる区をなくすのか、なくさないのか。福祉をはじめとした住民サービスの質の問題など、生活に密着した課題が、賛否にあたっての論点とされていました。メディアでも大きく取りあげられ、経営する事業所を置く地域のひとたちからも、「住民投票どうするの?」と聞かれることが頻繁にありました。選挙で「投票させてほしい」という思いはずっと持っていましたが、このときはさすがに「いつまで選挙権がない状況が続くのか」と、怒りのようなものを感じるようになりました。

例えるならば、小学校のクラスで、学級委員長や掃除当番を決める話し合いをするときに、外国人の生徒だけは廊下に出されて、日本人だけで話し合っている様子を、窓際でずっと見ているような感じです。そして、全部決まった後に席に戻されて、「こんな風に決まったから、よろしくね、従ってね」と言われるような感覚です。私たち、外国人住民が、確かに、隣に住んでいるのに、蚊帳かやの外に置かれ、いないことにされてしまっている。異常な事態だと思いました。

日本人住民にこそ、考えてほしい

さらに思ったのは、日本人の住民が、隣人である、私たち外国人住民が、一方的に従属する立場に置かれている、政治参加の権利が制限されている状態におかれていることを、さほど異常なこととも思わず、気にしていない、という状況にも、凄く危機感を感じました。こんな状態では、私のような高齢者もそうですし、このような社会で、私の子どもや孫の世代、次世代の外国人住民の子どもたちは、日本社会に夢を持つことができないのではないでしょうか。

日本人住民の皆さんに、改めてこの問題を重く受けとめ、考えてほしいのです。